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壬生の浪士・新撰組が駆けた道    京都府京都市
 新撰組が京都の街中に存在したのはわずか5年ほど。隊士たちは壬生(みぶ)に集結し、終えんに向かう徳川幕府への忠心を誓いながら荒れる京の街にその名をとどろかせる。新撰組の足跡を追ってぶらり京の街に出かけてみよう。 ウォーキングシューズ|編集プロダクション ホームページ制作 ユンブル 東京・大阪 ウォーキング
    
新撰組ゆかりの道に漂う、京の血と汗と謀略の匂い
近藤勇|編集プロダクション ホームページ制作 ユンブル 東京・大阪 ウォーキング
隊長・近藤勇の銅像。壬生寺の新撰組隊士の墓にあって威風堂々
  つくづく、日本人は新撰組の話が好きだなぁと思う。数年に一度、テレビや映画で放映されては話題になり、本や漫画になっては売れている。若い女性の間でも人気があるのは、コミックに沖田総司が薄幸の二枚目に描かれているせいだろう。昨年公開された浅田次郎原作の映画『壬生義士伝』の主人公は吉村貫一郎という剣の達人だ。従来の近藤勇、土方歳三らとはひと味違う人物像を描いて好評を博した。また今年はNHK大河ドラマで放映されて新たなブームを呼んでいる。
  
本光寺|編集プロダクション ホームページ制作 ユンブル 東京・大阪 ウォーキング
「伊東甲子太郎外数名殉難之地」の碑が建つ本光寺
西本願寺の太鼓楼|編集プロダクション ホームページ制作 ユンブル 東京・大阪 ウォーキング
新撰組が屯所に使っていた西本願寺の太鼓楼
興正寺|編集プロダクション ホームページ制作 ユンブル 東京・大阪 ウォーキング
堀川通りに面して石橋がかかっている興正寺の門前
新撰組の話では誰を主役にもってきてもそれなりに物語が成立する。日本の夜明け前の動乱の歴史を背景に、鮮血を伴いながらも命を賭けて仕事をした彼らの生きざまがわれわれの心を打つからだろう。不器用であればあるほど、彼らのキャラクターは魅力的に映る。
  まずはJR京都駅から出発して北へ向かう。駅から徒歩5分ほど、堀川通りから東に入ったところにある不動堂明王院は新撰組の最後の屯所(拠点)となったところだ。当時は現リーガロイヤルホテル京都のあたりを含めて広さ1万平方メートルの敷地に表門や高塀、客間などがそろった立派な屋敷だったという。
 不動堂のすぐ近くに伊東甲子太郎が絶命した場所、本光寺がある。脱退して新撰組乗っ取り計画を立てていた伊東の策略が近藤らの知るところとなり、伊東一派は隊士によって暗殺される。有名な「油小路の変」である。門前には絶命の地を示す石碑が立ち、伊東が死を目前に倒れかかったという石塔が門の内側すぐのところに残っている。
 慶応元年(1865)3月、新撰組は屯所を壬生から西本願寺に移転させる。現在の境内の北東角にある太鼓楼がその跡地だが、隊士たちはここで“調練”の名のもとに大砲を撃って門主を威嚇し、暴れていたらしい。寺側は会津藩の公用方に相談するが、調練は一向におさまらない。
 じつはこの行為は、土方の策略であった。見かねた寺側は、とうとう土方に転居を頼み込む。それも「移転費用、新しい屯所はすべて寺側が負担する」という、新撰組にとってはありがたい条件つきである。 これにて新撰組の屯所は先に述べた不動堂の豪華屯所に移転することになった。土方の策略家としての一面を物語るエピソードでもある。
 西本願寺は平成20年までの大修理中で、本殿はシートに覆われているが、阿弥陀堂やその周囲は拝観できる。西本願寺の南西に位置する興正寺は、紀州藩主の徳川茂承(もちつぐ)が宿にしていたところ。この寺に近藤を呼んで海援隊の睦奥宗光らに狙われていた三浦休太郎の警護を依頼した。のちに、三浦を囲んで宴会をしていた新撰組が陸奥らに襲われる天満屋事件に発展する。
 そんな歴史を思い出しながらぶらぶら歩く。境内はとても静かだ。本殿のふすまを開けて中に入ると、天井の高いシンとした仏間空間が広がった。しばしめい想タイムとしよう。
幕府の唯一公許の花街に漂う風雅の匂い、夢のあと
島原大門|編集プロダクション ホームページ制作 ユンブル 東京・大阪 ウォーキング
幕末の賑わいを物語る島原大門。「さらば垣」が印象的
輪違屋|編集プロダクション ホームページ制作 ユンブル 東京・大阪 ウォーキング
元禄期の置屋、輪違屋。二つの輪のロゴが映える
 西本願寺の北側、花屋町通りを西へ向かうと、道路をさえぎるように豪壮な門が建っている。これが島原大門だ。幕末当時、島原は京都で唯一の幕府公認の花街だった。壬生屯所から島原は500mほどの距離。島原の灯りは夜な夜な、新撰組隊士の熱いハートを誘ったことだろう。
  大門をくぐり、すぐの細い路地を北へ折れると格子の木造の建物が目を引く。輪違(わちがい)屋・である。置屋の遺構としてとても貴重だと聞いていたが、実際に見ると安定感のある建物の姿形の美しさに魅了される。現在は非公開で、中を見ることができないのが口惜しい。
 島原や輪違屋、さらにこれから紹介する島原最大の揚屋・角屋(すみや)については、幕末の志士たちが遊んだところとして時代小説によく出てくるが、田辺聖子の『ほっこりぽくぽく上方散歩』(文春文庫)ではこのあたりを楽しく説明している。 輪違屋で太夫遊びをした様子も語られ、近藤勇の書を発見して「中々のものだった、近藤サンもここへ来たのか」とある。  
 島原のもうひとつの素晴らしき遺構が角屋である。角屋は江戸時代の揚屋建築をそのまま残し、現在は「角屋もてなしの文化美術館」として一般公開されている。
 揚屋とは、置屋から太夫や芸妓を呼んで歌や舞い、音曲の遊宴を行ったところ。幕末には20軒を越えたというが、今では角屋を残すのみだ。格子に沿って歩くとかなり広い建物だと気付くが、内部を見学すればこれまた驚きの連続であった。
 時代劇のセットかと思うような美術品、座敷、襖の意匠。でもこれらはセットではない。新撰組隊士や幕末の有志が実際に使ったというだけあって、生々しいほどに人間の息吹きが伝わってくる。さらに、遊びに訪れた侍たちが玄関
角屋おもてなしの文化美術館|編集プロダクション ホームページ制作 ユンブル 東京・大阪 ウォーキング
角屋は島原に唯一残る揚屋建築。「角屋もてなしの文化美術館」として公開中
で刀を抜いて預けるための刀架や刀箪笥、西郷隆盛の行水のたらい、座敷の青貝の間など、想像の域を超える見ごたえのあるものがこれでもか、というほど次々に現れる。
 また、屏風や襖には与謝蕪村の重要文化財「紅白梅図」をはじめ、円山応挙、炭太祇ら後世に名を馳せた文人墨客の遺墨のオンパレードで、それらの文化価値も高い。生き生きとした感じを受けるのは、美術館に収蔵されているような絵画とは違い、文人たちが角屋のために描いたそのままを現存しているからだろう。
 これらに囲まれて、腰の物を抜いた侍と年端もゆかない美女、芸達者な太夫たちの夜ごとの宴の音、賑わいが聞こえてくるようである。
 新撰組の隊士たちもよく訪れたようだが、角屋に対してはゆすりたかりを繰り返していたらしい。玄関脇の柱と2階の青貝の間の柱には彼らによるいたずらの刀傷が残っている。困り果てた10代目当主は慶応2年に約1か月も営業を停止している。
 島原大門をくぐれば道路が急に狭くなり、なぜか往時の妖艶さを匂わすような空気が漂ってくる。この不思議な感覚をぜひ、ゆっくり歩くことで体感してください。
新撰組ファンの聖地・壬生寺周辺へ
八木邸|編集プロダクション ホームページ制作 ユンブル 東京・大阪 ウォーキング
壬生寺の隣にある八木邸前には「新撰組屯所遺構」とある
八木邸内部|編集プロダクション ホームページ制作 ユンブル 東京・大阪 ウォーキング
八木邸内部。新撰組は毎夜、議論と酒をかわした
八木邸に残る刀傷|編集プロダクション ホームページ制作 ユンブル 東京・大阪 ウォーキング
八木邸に残っている刀傷。芹沢鴨暗殺の時の傷といわれている
  角屋から坊城通、壬生川通を経て壬生寺のあたりを目指そう。かつて壬生村と言われたこのエリアには新撰組が屯所を置いたこともあり、ゆかりのスポットが集まっている。
 まず訪れたいのは新徳寺。文久3年(1863)2月、江戸から移動して京都に到着した浪士組(新撰組の前身)の200余名はこの寺の本堂に集まった。その後、目付、取締、調役の三役と清河八郎がここを宿としている。
 向かいにある八木邸には芹沢鴨一派と近藤一派が宿泊し、その他は旧前川邸を宿としていた。いつしか壬生村は東国なまりのいかつい浪士であふれ、彼らは「壬生の狼」と呼ばれて京の街から恐れられることになる。
 八木邸は西本願寺に屯所を移すまでの本部となったこともあり、議論、酒宴が繰り広げられるなか、血の粛清の場となる事件も展開した。見学には解説付きで案内してくれるが、芹沢ら4人が暗殺された奥の間や縁側の
鴨居にある刀傷など、新撰組の厳しい規律を思い起こす歴史の痕跡が見てとれる。
 旧前川邸は現在田野製袋所として営業しており見学はできないが、瓦屋根に木造の町家建築の、よく手入れされた建物が印象的だ。ここは古高俊太郎が近藤らに拷問された場所で、内部には逆さ吊りにした時の縄が保存されている。 元治元年(1864)6月、この時の古高の自白により、長州の志士たちによる謀反を事前に防ぐことになる池田屋騒動が起こった。これによって新撰組、近藤、土方らの名が天下にとどろくところとなる。
 隊士たちの墓が集結する光縁寺や壬生寺を訪れた。彼らは壬生寺の境内で兵法の調練を行い、武芸、剣術、大砲の練習を続けた。コミック誌などでは必ずと言っていいほど、スリムでハンサムな沖田が境内に子どもを集め、楽しそうに鬼ごっこをしたり剣を教えたりするシーンが出てくる。
壬生寺|編集プロダクション ホームページ制作 ユンブル 東京・大阪 ウォーキング
壬生寺には近藤勇像はじめ、芹沢鴨、河合耆三郎、七隊士連名の墓、歌碑などがある

 門を入ってすぐの右側に、ガラスと木のモダン建築の拝堂があり、新撰組グッズや本などを販売している。壬生塚と呼ぶ隊士の墓にはこの拝堂に100円を入れて入る。
 近藤の大きな胸像と遺髪塔、芹沢、隊士ら数名の墓、往時の馬車停めの遺構があり、見物人が後を絶たない。近藤像の隣には願掛け絵馬がずらりと並び、「ボクシングが強くなれますように」「がまん強くなりますように」などの願いが書いてあった。
 慶応4年(1868)、鳥羽伏見の戦いでもって新撰組の役目は終了する。その後転戦を繰り返すも、彼らの京での戦いは夢と終わった。
 最後に、幕末の戦乱のすべてを引き起こした舞台、二条城へ向かう。幕末の風景を想像しながら、ゆっくりと歩いてみる。この争乱はどこまで続くのか。当時の人々はひたすら、日本の夜明けを願ったに違いない。





アクセス
JR京都駅から徒歩すぐで不動堂へ。帰りはJR山陰本線二条駅、地下鉄東西線二条駅か二条城前駅からJR 京都駅へ

コース
計約10キロ  約4時間 
JR京都駅→不動堂明王院→本光寺→興正寺→西本願寺→島原大門→輪違屋→角屋もてなしの美術館→島原住吉神社→新徳寺→八木邸→壬生寺→旧前川邸→光縁寺→二条


イベント
●「大新撰組展」 霊山歴史館 平成16年1月3日(土)〜12月26日(日) TEL:075-531-3773
●特別展「新選組!」展 京都文化博物館 平成16年6月5日(土)〜7月19日(祝)TEL:075-222-0888
●金戒光明寺特別公開 金戒光明寺 平成16年3月19日(金)〜12月15日(水)TEL:075-771-2204

問い合わせ
●角屋もてなしの文化美術館 TEL:075-351-0024 営業:10時〜16時 定休:月曜、7/19〜9/14、12/16〜3/14 入館料¥1.000
●八木邸 TEL:075-841-0751 営業:9時30分〜16時30分 定休:月曜、第3水曜
●京都市観光協会 TEL:075-752-0227 
●京都市産業観光局観光部観光企画課 TEL:075-222-4130
●京都市観光案内所 TEL:075-343-6655


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撮影:貝原弘次

●本記事は『ウォーキングマガジン 2003年3月号』から抜粋修正したものです。

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