 |
| 隊長・近藤勇の銅像。壬生寺の新撰組隊士の墓にあって威風堂々 |
つくづく、日本人は新撰組の話が好きだなぁと思う。数年に一度、テレビや映画で放映されては話題になり、本や漫画になっては売れている。若い女性の間でも人気があるのは、コミックに沖田総司が薄幸の二枚目に描かれているせいだろう。昨年公開された浅田次郎原作の映画『壬生義士伝』の主人公は吉村貫一郎という剣の達人だ。従来の近藤勇、土方歳三らとはひと味違う人物像を描いて好評を博した。また今年はNHK大河ドラマで放映されて新たなブームを呼んでいる。
 |
| 「伊東甲子太郎外数名殉難之地」の碑が建つ本光寺 |
 |
| 新撰組が屯所に使っていた西本願寺の太鼓楼 |
 |
| 堀川通りに面して石橋がかかっている興正寺の門前 |
新撰組の話では誰を主役にもってきてもそれなりに物語が成立する。日本の夜明け前の動乱の歴史を背景に、鮮血を伴いながらも命を賭けて仕事をした彼らの生きざまがわれわれの心を打つからだろう。不器用であればあるほど、彼らのキャラクターは魅力的に映る。
まずはJR京都駅から出発して北へ向かう。駅から徒歩5分ほど、堀川通りから東に入ったところにある不動堂明王院は新撰組の最後の屯所(拠点)となったところだ。当時は現リーガロイヤルホテル京都のあたりを含めて広さ1万平方メートルの敷地に表門や高塀、客間などがそろった立派な屋敷だったという。
不動堂のすぐ近くに伊東甲子太郎が絶命した場所、本光寺がある。脱退して新撰組乗っ取り計画を立てていた伊東の策略が近藤らの知るところとなり、伊東一派は隊士によって暗殺される。有名な「油小路の変」である。門前には絶命の地を示す石碑が立ち、伊東が死を目前に倒れかかったという石塔が門の内側すぐのところに残っている。
慶応元年(1865)3月、新撰組は屯所を壬生から西本願寺に移転させる。現在の境内の北東角にある太鼓楼がその跡地だが、隊士たちはここで“調練”の名のもとに大砲を撃って門主を威嚇し、暴れていたらしい。寺側は会津藩の公用方に相談するが、調練は一向におさまらない。
じつはこの行為は、土方の策略であった。見かねた寺側は、とうとう土方に転居を頼み込む。それも「移転費用、新しい屯所はすべて寺側が負担する」という、新撰組にとってはありがたい条件つきである。
これにて新撰組の屯所は先に述べた不動堂の豪華屯所に移転することになった。土方の策略家としての一面を物語るエピソードでもある。
西本願寺は平成20年までの大修理中で、本殿はシートに覆われているが、阿弥陀堂やその周囲は拝観できる。西本願寺の南西に位置する興正寺は、紀州藩主の徳川茂承(もちつぐ)が宿にしていたところ。この寺に近藤を呼んで海援隊の睦奥宗光らに狙われていた三浦休太郎の警護を依頼した。のちに、三浦を囲んで宴会をしていた新撰組が陸奥らに襲われる天満屋事件に発展する。
そんな歴史を思い出しながらぶらぶら歩く。境内はとても静かだ。本殿のふすまを開けて中に入ると、天井の高いシンとした仏間空間が広がった。しばしめい想タイムとしよう。
|