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ユンブル・ウォーキング File.03

義経の急襲、敦盛の悲劇。
一の谷の合戦の舞台を歩く    兵庫県神戸市・須磨区
 JR須磨駅までは、三ノ宮駅から西へ快速で12分。海岸あたりは若いカップルの定番デートスポットだ。だが平安末期の昔にさかのぼると、ここは源義経が平家を急襲し、源平合戦の悲劇の武将・平敦盛(たいらのあつもり)が最期を遂げた戦場、日本の歴史が動いた舞台である。悲劇はなぜこの一ノ谷で起こったのか。 ウォーキングシューズ|編集プロダクション ホームページ制作 ユンブル 東京・大阪 ウォーキング
    
鉢伏山の展望台から
一ノ谷の地形を見渡す
1.鉢伏山展望台から須磨・一ノ谷を一望。急勾配な山、猫の額のような平地、その向こうに輝く瀬戸内海が広がり絶景。
  須磨という響きから関西在住の人が連想するのは、「若いころにそぞろ歩いた海岸デート」ではないだろうか。関東でいえば湘南のイメージだ。
  「一ノ谷」という地名は今も町名として使われていて、平家物語の舞台である一ノ谷古戦場は、須磨海水浴場から海釣り公園一帯を指している。そう聞けば、「え? ここがあの義経の一ノ谷? そんな場所? 」と、須磨という土地に新たな興味が湧いてくる人も多いだろう。
  紫式部の『源氏物語』のなかで須磨は、源氏が謹慎生活を送る場所として登場する。その昔、須磨は京都を追われた公家たちの遁世(とんせい)、流罪の場所だった。そもそも神戸が都市として開発されるのは明治維新前なのだから、12世紀の須磨ならば人影もなかったに違いない。若いころのデートシーンを思い出しつつ、古戦の名残りを探してゆっくりと歩いてみたい。
敦盛塚|編集プロダクション ホームページ制作 ユンブル 東京・大阪 ウォーキング
2.敦盛塚。直実建造説と、鎌倉幕府の執権・北条時貞が平家一門の冥福を祈って建てたという説あり。
鉢伏山登山道|編集プロダクション ホームページ制作 ユンブル 東京・大阪 ウォーキング
3.鉢伏山登山道。東に向かって旗振山(はたふりやま)鉄拐山と続く。標識もお茶屋も整っていて歩きやすい。
  山陽電鉄の須磨浦公園駅は須磨浦公園の中にあって鉢伏山(はちふせやま)山上へのロープウェイ駅とくっついている。降り立てばすぐ背中は山、目の前は海という神戸ならではの地形が待っていた。この山と海の迫り方といえば、神戸市はたいていそういう地形なのだが、須磨のそれはもう、訪れた人にしかわからない迫力。
  まずは、出家した熊谷直実(くまがいなおざね。源氏の猛将。後述)が敦盛の供養のために胴体を埋めたという「敦盛塚」写真(2)へ行ってみた。国道沿いに大きな五輪の石塔が目に入る。石が古めかしいからか場所柄なのか、秋晴れ爽やかな日中に訪れたにもかかわらず、ものさみしい気配がする。
  須磨浦公園内にもどり、鉢伏山登山口に向かって登ると、与謝蕪村の句碑と松尾芭蕉の句碑が斜め向かい合わせに立っている。すぐ隣には海が見下ろせるスペースがあって視界が広がった。さらに登ると左手には正岡子規、高浜虚子の師弟句碑もあり、江戸時代に彼ら文人たちがこの地を訪れていたことがわかる。風光明媚な土地、の証である。
  そろそろ傾斜がきつくなる。舗装された自然歩道や階段が続く(3)が、関西では有名な六甲全縦走という登山イベントの始点のひとつがここ、鉢伏山登山口だ。
  まずは海抜246mの鉢伏山山上を目指そう。ぜいぜい。息があがるころには、ロープウェイ駅と合流する展望台に到着した。ぐるり瀬戸内海が見渡せて、淡路島、明石海峡大橋、ポートアイランド、須磨の海岸線を一望することができる(1)。山の頂きというのに足元に海が広がる感覚が独特だ。これが一ノ谷なのか!

義経の「ひよどり越の逆(さか)落とし」
実際の場所はどこ?
戦の濱の碑|編集プロダクション ホームページ制作 ユンブル 東京・大阪 ウォーキング
4.「戦の濱」碑。須磨浦公園駅から東へ5分ほど歩いた国道よりにある。
安徳帝内裏跡伝説地|編集プロダクション ホームページ制作 ユンブル 東京・大阪 ウォーキング
5.安徳帝内裏跡伝説地。町の公園内にあって、地域の人の手で守られているのがわかる。
   クーデターで京都から政権を奪った平清盛は治承4(1180)年に現在の神戸市・兵庫区の福原へ都を移す。平家一門の絶頂期、栄華の極みの時代だ。だが、伊豆では源頼朝が打倒平家を掲げて挙兵した。清盛は遷都から半年で京都へ戻って体勢を整えるも、3ヵ月後には熱病で死亡してしまう。驕れる者は久しからず。この先、平家一門に悲劇が待っている。
  とどめを刺されるのが一ノ谷の戦いだった。都落ちした平家は、生田の森(現在の神戸市最大の繁華街・三宮あたり)と、ここ須磨・一ノ谷に安徳天皇を擁した要塞を築いて源氏を迎え撃とうとしていた。
  鉢伏山上から海を見おろすと、一ノ谷は背後の三方に小山を控え、海に向かってちょうど窪地か谷のように見える地面がある。そしてすぐ先は遠浅の海。平家はこのくぼ地に砦をかまえていたが、ここなら平家でなくても、守るのは東西の幅の狭い街道筋だけでいいと考えるだろう。それほど、一ノ谷には急な崖がそびえていて、とても人や馬が山頂から降りてこれるような地形ではない。
  しかし、源義仲を討って勢い盛んな源義経はこの一ノ谷の背後の崖側から迫り降り、かの有名な「ひよどり越えの逆(坂)落とし」のはなれ技を決行した! 1184年2月7日のことである。
  平家側が想像もしなかった山を駆け下りる戦法で奇襲をかける義経軍団。あっという間に、一ノ谷の合戦は源氏の圧勝に終わった。
  この、ひよどり越の場所には2説ある。ひとつは一ノ谷の背後にある鉄拐山(てっかいさん)の東南斜面という説、もうひとつは現在も地名として残っており、神戸電鉄の駅名にもなっている「鵯越(ひよどりごえ)」のあたり。山上ロープウェイに乗ると一ノ谷の地形がよくわかるから、上りか下りのどちらかにはロープウェイを利用するとよい。そして、ひよどり越の場所に推理を働かせるのも面白い。
  駅から須磨浦公園内を東へ歩くと、5分ほどで国道よりにポツンと建つ一ノ谷古戦場の「源平史蹟 戦の濱」(4)の碑を発見。ここから北へ標識に沿って「安徳帝内裏跡伝説地」(5)にたどりつくと、安徳帝の冥福を祈る小さな祠があった。
  平家物語には「ひよどり越の逆落としは、およそ人間の仕業とはおもえないことだ」と記されているが、誇張であれ創作であれ、一ノ谷の悲劇はこの地形だからこそ成立した物語だ。
  須磨浦に迫る急峻な山と遠浅の海。風光明媚な一ノ谷に追っ手が迫る! この地形を間近にして古戦物語をリアルに想像できたことが、今回のウォーキングトリップの最大の収穫だった。
敦盛と直実の一騎打ち
ドラマを再現する須磨寺へ
須磨寺にある源平の庭|編集プロダクション ホームページ制作 ユンブル 東京・大阪 ウォーキング
6.須磨寺にある源平の庭。馬で沖へ逃れようとする敦盛を直実が呼び戻す名シーンを再現。
敦盛最期|編集プロダクション ホームページ制作 ユンブル 東京・大阪 ウォーキング
7.一の谷の海へ逃亡しようとする敦盛は、直実の「戻りなされ! 」という叫び声に振り返る。『敦盛最期』のなかでも有名なシーンだ。
平敦盛像|編集プロダクション ホームページ制作 ユンブル 東京・大阪 ウォーキング
8.宝物館にある平敦盛像。出家した直実作と伝わる。
  一ノ谷の合戦のクライマックスは平家物語にある『敦盛最期』だ。
  崩れ落ちた平家軍は、瀬戸内海に船を出していっせいに屋島(現在の香川県)に向かって逃走した。浜で平家の残党を探していた源氏の党族・熊谷直実は、馬に乗って海へ入る豪華な装束の武将を発見。これが平経盛の息子で清盛の甥にあたる敦盛だった。まだ16歳である。直実は大声で威嚇する。
  「そこにおわすは将軍殿か。敵に後ろを見せるとは見苦しゅうござる。戻りなされ」
  振り返る敦盛(6・7がこの場面)。ふたりは馬から落ちて激突した。しかしあまりのひ弱さに拍子抜けした直実が敦盛の兜(かぶと)をとると、貴人のような品のよい、幼さが残る少年の顔があった。
義経腰掛けの松|編集プロダクション ホームページ制作 ユンブル 東京・大阪 ウォーキング
9.義経腰掛けの松。合戦のあと、義経はこの松に座って敦盛の首と笛の実検をしたという。
敦盛首洗の池|編集プロダクション ホームページ制作 ユンブル 東京・大阪 ウォーキング
10.敦盛首洗の池。名前のとおり敦盛の首を洗ったという伝説の池。
弁慶の鐘|編集プロダクション ホームページ制作 ユンブル 東京・大阪 ウォーキング
11. 弁慶の鐘。ひよどり越の時に弁慶が使ったという。
  「名乗らずとも、この首をとって誰かに聞けば見知る人がいるだろう。おぬしにとってよい敵じゃ」「早く、早く切れ」と敦盛はすでに覚悟を決めていた。
  息子と同じ年端の少年じゃないか、切るにはしのびない、と手をゆるめるも、源氏軍が追いかけてきた。いずれは切られる運命、ならば自分の手で!
  かくして敦盛は直実の手に落ちた。笛の名手としても知られた敦盛だが、その首と、鎧(よろい)の中から出てきた笛が義経の検分を受けると、源氏の陣屋でも涙せぬ者はいなかったという。
  この名物語を思い出しながら、須磨寺を訪ねた。一騎打ちを表した「源平の庭」(6)はじめ、義経が敦盛の首を検分した「義経腰掛の松」(9)、「敦盛首洗い池」(10) 「敦盛首塚」など敦盛のドラマを再現するかのような展示物が迎えてくれる。さらに「敦盛の錦絵」(7)や「敦盛像」(8)などの資料、「弁慶の鐘」(11)、敦盛の「青葉の笛」、合戦の人形舎なども陳列されている。
  笛や鐘が本物か否かというやぼな詮索はやめにして、ここでは敦盛のエピソードを堪能したい。滅びの美徳を重んじた中世日本人の価値観、心のありようを感じる。
  須磨寺の参道には地下水をくみ出せる「須磨霊泉」や「平重衡とらわれの松」などの史跡もある。
  帰りは神戸電鉄須磨寺駅から帰路についてもいいし、足を伸ばしたい場合は寺からすぐの須磨浦離宮公園に立ち寄るとよい。入場は有料だが、噴水や花壇が整備された広大な花と緑の公園でベンチに座ってリラックスできる。すべては「ただ春の夜の夢のごとし」という想いが込み上げてくる。
 



アクセス
山陽電鉄須磨浦公園駅下車すぐ。大阪・梅田駅から阪神、阪急電鉄とも乗り入れており、特急も停車するから便利。JR神戸線須磨駅から徒歩10分。

コース
山陽電鉄須磨浦公園駅もしくはJR神戸線須磨駅→須磨浦公園内敦盛塚→戦いの浜碑→安徳帝内裏跡伝説地→(2号線沿い)→須磨寺→須磨離宮公園→山陽電鉄月見山駅

問い合わせ
須磨観光協会  TEL:078-731-4341(須磨区役所代表)
須磨寺本坊  TEL:078-731-0416


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撮影:貝原弘次

●本記事は『ウォーキングマガジン 2003年12月号』から抜粋修正したものです。


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